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『人工知能のうしろから世界をのぞいてみる』のメモと感想

2026年1月4日

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人間とは何かを定義することはできないため、人工知能には人間とは何かを学習させるのではなく、人間について好奇心を持たせ人間をより知ろうとする姿勢を保たせることによって、人間に対する理解を上げていくことが重要であると説く。

現状の人工知能は将棋AIが将棋についてのフレームの中で動くように、与えられたフレームの中でしか動くことができない。人間は一つのフレームに縛られることはなく、多くのフレームを行き来または統合して多面的に思考できる。人工知能はフレームを与えられることで”思考”を開始するが、人間は他者がフレームを与える必要はなく自律的に多くのフレームを行き来し、統合し思考できる。

都市のAI化は、ゲーム業界で培われたナレッジを流用できるため、オープンワールドやメタバースでのAIの役割やAI間の連携を現実の都市にいかに適用させるかの説明があった。デジタルツインやミラーワールドによって、メタバース上でのアクションが現実世界に作用する。例えば、メタバース上でのゴミ拾いアクションが、デジタルツインによって同期されていれば、それが現実世界のロボットのゴミを拾うアクションに作用するなど。 理想郷かどうかは分からないが、身体が不自由でもメタバース上でのアクションができれば現実に影響を与えることができる面は良い。 都市とメタバースの同期には、多くのセンサーがいるみたいだが、社会はその世界を許容するのか。安全性とプライバシーが簡単に取引できるのか。治安の良い国だからそう思うのか。分からない。

メルロ・ポンティを引用して、人間は身体によって世界に植を張っていることに対し、現状の人工知能は身体がなく世界との繋がりが希薄な乾いたアルゴリズムでしかないと説く。

p299の意識を絶対視せず、それは世界との関係を表す鏡であるといった現象学的な叙述があるが好きな文章だった。

『身体は主体であると同時に対象である』という現象学者であるメルロ・ポンティの引用があった。 キーボードを打つ自分の手は確かに主体であるが、そもそもこの手について俺はどこまで知っているのか。これは対象に対する眼差しか。結局自分のことは自分がよくわかっているという言説はそうとも言える領域もあるかもしれないが、あまり信用できない。

意識とか言語とかを重要視しているのは現状の人工知能も該当するのか。膨大な言語情報と知識を与えられているが、身体はなく世界との本当の意味での接続ができない。人工知能が本当の意味で世界や人間などを理解するには、言語だけがあっても難しい。理解する必要があるのかは知らん。

ゲームの発展と人工知能の現状の概観と著者の未来への提起、人工知能と人間の差異を現象学やケアについての話で展開していく。読んでよかった。

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